カラダから生み出される “動き” の可能性

人のカラダが生み出す“動き=パフォーマンス”は可能性が満ち溢れている

例え、あなたがこのような“動き=パフォーマンス”を求めていなかったとしても。。。

そして私たちのカラダはただ机に座り、PCを操作するような単純作業にはデザインされていない。

カラダは動かすことで機能を維持できる

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私たちがこの世に生を受けた瞬間から、一生懸命カラダを動かしてくることで自由を得た。

2本の脚で立てるようになり、カラダが安定してくると、跳んだり、走ったり、何かを投げたり

捕まったり、しゃがんだりすることで自分の空間を拡げることに夢中になった。

やがてスポーツをしたり、楽器を操ったり、道具を使って様々なことをクリエイトしてきた。

しかし、時間が経つにつれカラダを動かす時間が減り、気づけばカラダに痛みを抱えるようになった。

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カラダはいつまでも思いのまま動かせるわけではないかもしれないが

KING KAZUで知られるよう、ピークを過ぎたと思われても最前線でプレーするプレーヤーもいる。

いつからだろう?カラダが動かないことを加齢のせいにし始めるようになったのは。

 

思い通りの動きを実現するための自分に合わせたカラダ

もちろん全ての人が、彼のように不屈の意志をもって最前線でパフォーマンスをする必要はない。

パフォーマンス

カラダを動かす仕事であれば、カラダの節々が痛むようでは仕事にもプライベートにも支障がでる。

趣味でスポーツをしていたり、楽器を演奏していたりするのなら、自然と今よりいい状態を目指すし

もちろんダンスや踊りだってそうだ!!それらは結果として自分の生き甲斐にもなってくる。

会社から退いたとしても人生は続き、それは痛みのあるカラダより痛みのない自由なカラダが望ましい。

 

カラダにも目的に合わせたメンテナンスを!

カラダは私たちの実在するものでもあるが「私」を生きるために使えることのできるツールでもある。

ツールは“保守、管理”を行わなければ、あっという間に使えなくなってしまうのが常識ではないだろうか

 

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私たちはツールである手脚を巧みに動かして道具を使って、モノを創り出したりすることもできる。

ツールとして同じフィールドに乗せて話をした場合、カラダと道具について私たちの認識は

「メンテナンスをするか、しないか」という点で大きく異なる。

例えば、切れなくなった包丁はまた新しいものを買うことができる。

あるいは大切な包丁の切れ味が鈍くならないように、使用したあとは包丁を研ぐ。

一方でカラダはどうだろうか?

機能しなくなったら切除し人工物をいれる外科手術ももちろんあるが、自分の代わりはないにも関わらず

自分のカラダのメンテナンス、特に使用したあとのメンテナンスという点に関しては意識が低い。

今は違うかもしれないが、サッカー部に所属していた昔はクールダウン<ウォーミングアップだった。

Young man with back pain, isolated in white

プレー中に怪我をしたり、ハードな練習をしたあとカラダが痛んだりしても、放ったままにしておいて

あとで気がついたら治っていたり、メンテナンスをしたとしても自分以外の誰かに任せるかだったはずで

痛みがある部位について原因を考えたりすることもしなかった、自分の大切なカラダなのに。

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冒頭にある動画のように極端な動きはせずとも、幾つになっても自分のカラダを意のままに動かせる様に

自分のカラダの仕組みを知った上で、メンテナンスをできるようになるとカラダの可能性は高まってくる

もっとカラダに愛情を◎

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