とあるセッションを振り返って

あなたの意識はどこに向いていますか?

私たちはからだの前側に「目」がついている。

当たり前のことを言っているが、魚は側面にあり、ワニなどは上にある。

私たちが生きていく上で重要になってくる(刺激)情報の多くは目から入ってくる。

以前、脳はこんな風にからだを捉えているというという記事を書いたが

そのほとんどが目と口と手に向いている。

 

例えば、運動会で子供と走っていて転ぶ保護者の方がいたりする。

 

頭の中ではかっこよく疾走するイメージがあって、からだを動かそうとするのだが、、、

 

足への意識はほとんど向いてないため足が絡まって転ぶのは納得がいく気がする。

 

 

ここで少し考えてほしい。

 

普段、歩くときに足を意識したりしているだろうか?

右足を出すには、まず左足へと体重を傾けながら、

重心を前方に緩やかに移動をさせて、そのときに左腕を後ろに引き始めて、

からだの真ん中をすぎるタイミングで右足の体重を母指球へと移動させて…

なんて意識している人は果たしているのだろうか。

 

私たちは生まれてこのかた、歩くことを意識したことなんてないのではないだろうか。

例外的にモデルなど、特定の職業では歩き方を指導されたりするだろうけれど、それは正しい職業的歩き方であって、正しい歩き方ではない。

 

おそらく全ての動物で歩き方を考えながら(足を意識しながら)動いているものはいない。

 

というのも、そもそも私たちは動物(動くもの)であり、

足を動かすということはこの世界で生きていくためには無意識で行えないと、

生存に関わる様々な状況の変化に対応できないからである。

私たち人間の場合、2本足で立ち始めたあとから、それはどんどん無意識下で機能する。

 

暮らす環境は大きく変化した100年

先日のワークショップでトムも言っていた、

この100年で私たちを取り巻く環境は大きく変化した。

事実、その通りだと思う。

 

多くの人々が、農林水産業についていて

仕事をすることは、からだを動かすことだった。

 

今のようにTV・PC・スマートフォンなどのスクリーンに夢中になることもなかった。

移動手段も、今ほど自動車は普及していなかったはずだ。

 

だが、100年経ったいまはどうだろうか?

仕事は手元でPCを操り、移動中は携帯の液晶を眺め、

前を向くのではなく手先を見つめながら過ごすことが多く、

からだを動かす機会もなければ、食事も高カロリーのものが多い。

 

さらに、人によっては糖尿病・高血圧・肥満に代表される生活習慣病という、訳のわからない病になることもある。

 

高カロリーのものを食べ、運動習慣が少ない暮らしをしながら、四六時中モニターを見ていたら未来の人間は本当にホムンクルスのような姿になっているのではないかと思う。

 

 

意識をすることで見えてくるものは変わる

 

自然界に暮らす生物の中で、液晶画面をずっと眺めている生き物はいるだろうか?

 

お腹がバキバキに割れている生き物はいるだろうか?

 

食事をバイオケミカルな粉末で済ませている生物はいるだろうか?

 

考えれば考えるほど、私たち人間が自然界から遠ざかった環境で暮らしているように思える。

 

また、いろいろな循環の輪からも外れてきたように思える。

 

 

昔のような暮らしをする必要はない

 

自分という存在から意識があちらこちらに散ってしまうほど、多忙な暮らしをしてしまっているようだったら

 

都市部から離れたり、モニターをみる時間を減らしたり、からだを動かしたり、食事を作ったり

 

少しだけ自分の存在に意識を向ける時間をとることができたら、

 

私たちは、今より心もカラダも快適に暮らせるようになることに、そろそろ気づいてもいいのかもしれない。

 

自分のリズムを知ることは大切ではないですか?

桜と田植えと海水浴が一緒に味わえる、高知の春

今年の桜の開花は高知が一番早かったようですね。

そして桜が咲いたかと思うと、あっという間に夏日に突入!

あちこちで台風前に収穫をする超早場米の田植えが終わり、カエルが鳴き

海では水遊びをしてはしゃいでいる人たちがいたり

何なんでしょうか、この初夏の香りすら漂う春らしからぬ春。。。

今年は暑い夏がやってくるのでしょうか、ほんの少しだけ心配です。

 

始まりのタイミング:1年はあっという間、だけど焦らず、ゆったりし過ぎず

1月は年の始まりですが、あっという間に過ぎてしまって気がつけば3月も終わり。

4月が新年度というのが何だか少しわかるような気がします。

というのは、スロースターターだからでしょうか。

昨年の年末からあれこれ構想を練って練って、寝かせて寝かせて、

だんだんと膨らんできて「よし、このタイミング!!」だと思ったらもう1年の1/4が終わろうとしているのだから本当に驚きます。

ふと周囲を見回すと、自分だけ周囲との速度が異なっていて、取り残された感覚になるかもしれません

だけど本当にそうなのでしょうか。

私たちは個々に異なる感性を持っています。

感性が異なっていれば、何を感じてどう動くか、どのタイミングで動くのかはその個性によって変わっても良いはずです。

また、スイッチひとつで電気をON-OFFするように、全部が一瞬でガラッと変わることもなく、見えない変化も含めて少しずつ移りかわっているはずです。

なので、周りと動きを合わせる必要もなく、周りを気にする必要もない。

自分の感性に従って、機が熟するのを待ち、ここだというタイミングで動いてみるということを意識してみてください。

もちろん、周囲があるから自分が在るわけなので、

周囲のことを全く考えないとか

自分のことを全く考えないのではなく

自分と周囲と両方のことを俯瞰した(全体を意識した)状態でのタイミングです。

それは頭で考えるのではなくて、肌(感覚)で感じるものだと思います。

どんなに忙しくても、どんなに変化を感じなくても、季節は移り変わり、生きている限り心臓は動いています。

誰にとっても1年は同じ8760時間で、私だけ早く過ぎたり遅く過ぎたりすることはありません。

またとない今日という日を「かけがえのない1日」にするためには、自分の意識を、自分以外の何かに奪われないように。

季節の花を観て何かを感じたり、気温の変化に合わせて装いを変えてみたりして

周囲の変化と、自分の変化にゆっくり意識を向けてみるのも良いかもしれません。

 

確かに!と思った方、ミヒャエル・エンデが挿絵にまでこだわったというこちらの本もオススメです◎

 

 

間質:筋膜組織についての新たな発見

新しい「器官」としての筋膜

米ニューヨーク大学などの研究チームが、体内の「間質」と呼ばれる空間の構造と分布に関する詳細を研究し、「人体の新しい器官を発見した」として、27日の学術誌に論文を発表した。(CNN)

クリックで記事元のCNNへジャンプ

 

これまでの常識

これまで筋膜(fascia)は筋肉や腱・靭帯といったものとは異なる無駄なものとして扱われていた。

私たちが解剖学を学ぶとき、解剖学アトラスや解剖アプリで人体について学ぶのだが、実はそのように鮮明に観ることはできない。

解剖を行ったからわかることなのだが、皮膚の下には皮下脂肪がまばらに点在していたり、

皮下脂肪とリンパ節や神経終末が重なっていたりしてして、とても複雑で、生々しくてごちゃごちゃしている。

また、それぞれの筋肉は筋膜という硬い鞘のようなもので包まれており、それが階層的に立体的に広がっている。

さらには例えていうなら、ヒトの形をした風船の中でクモの巣が縦横無尽に張り巡らされていて、そのクモの巣には色々なものがひっついたり、重なったりしているというとイメージしやすいのかもしれない。

つまり、解剖学アトラスや解剖アプリを使って知ったはずの人体は、筋膜という組織が欠落した、不完全な状態だということになる。

 

これからの常識

中世までは天動説が信じられていたが、望遠鏡の発明を機に地動説へと移行していった。

筋膜リリースやトリガーポイントに代表される徒手療法や、ピラティスやヨガなどの運動療法の中では筋膜(fascia)組織について一定の注目が集まってはいたが

この度、医学的観点から空間と構造の分布に関する器官として認識されたということは、これまでの常識(医学の礎)が変わってくることを示している。

今回の研究では間質空間ががん細胞の拡散を助け、がんが体内で転移する導管の役割を果たしている可能性があることも分かった。間質液を調べれば、がんの診断に役立つかもしれないとシース教授は述べ、がんだけでなく、ほかの疾患や体内の機能に関する医師の考え方を変えさせる可能性もあると話している。

昔はうさぎ跳びが身体を鍛える手段として用いられていたが、今ではほぼ行われていない。

アスベストは「奇跡の鉱物」として重宝されたが、今では静かな時限爆弾と呼ばれるようになった。

常識とは時代が変化すると、誤った認識になりかねない。

自然の理に沿って、論理的な思考で、新しいものにも柔軟に対応したい。

自然の理って何だろうと思った方は、こちらの本を読んでみると感覚的なものが変化するかもしれませんよ。

生きるということ

一所懸命、今を生きていますか

昨年、アリゾナにあるトッドガルシアのラボ “lofae” で冷凍献体での人体解剖を行いました。

5日間、敬意と尊厳をもって献体と向き合い、初めて人体の内側にふれました。

親族の死、友人の死を通して、死ということを知っているはずでした。

しかし、ラボで献体と僕が経験してきた死は全く別のもので、それは実に生々しいものでした。

生きているということと、死んでいるということの境は何なんだろうとずっと考えていました。

心臓の拍動?

脳が機能しているから?

意識があるから?

臓器が機能しているから?

しかし死してなお、肉体は残ります。

肉体が残るということは、分子レベルでは存在しているということです。

人の70%は水分で構成されているとも言われていますが、私たちは水ではありません。

しかし水分があるから私たちは健康的に生きることができるのです。

答えはシンプルなのかもしれないけれど、考えれば考えるほどその違いが分からなくなりました。

ひょっとしたら僕たちが「生」だと思っているものは、素粒子がこすれ合って起きるホログラムなのかもしれません。

そのぐらい、生と死の境は曖昧で、生きているということが奇跡の連続なのだと思いました。

 

生を全うする

自分の力でできたことなんて何一つありません。

全て、周りに人が居てくれたからです。

自分という存在が証明されるのも、周りに人が居てくれるからです。

ありきたりかもしれませんが、今こうして生きていることは実はすごく有難いことなのです。

あなたが居てくれるから、私が在る。

死から学ぶことがあるとしたら、生を全うすることなのかもしれません。

では、生を全うするとはどう言うことなのでしょうか。

 

あなたの好きなことは、きっと誰かのためになる。

好きなことができるのは幸せだと思います。

それは仕事でも趣味でも同じではないでしょうか。

好きなことを仕事にし、趣味も好きなことをやって、好きな場所に住んで、好きなものを食べて、好きなことを追求することができる。

人は「好きなこと」には全力を注げるのではないでしょうか。

嫌いなことに全力を注ぐケースは、さまざまな外的要因で強制される場合を除いて恐らくないのではないかと思います。

もし、世界中のすべての人が好きなことをして、そのことが好きなことをしている他の誰かのためになっていたら、世の中から悲しい出来事がなくなるのかもしれません。

人は「そんなことできっこない」「私には無理だ」と言うかもしれません。

だけどやってみないとどうなるかなんて誰にもわかりません。

あなたは自分が好きだと思うことを自信を持って一生懸命やっていると言えますか。

 

生きるということは、情熱を燃やすこと

一昨日、闘病生活の末に、ある人の肉体から魂が旅立ちました。

享年45歳でした。

仕事が好きで、情熱を持って新しいことにチャレンジし続ける人でした。

病に伏せてもなお、持ち前の明るさとパワーで人のための仕事に尽力した姿勢は本当に凄いなと思いました。

死は誰にでも訪れるものです。

それが寿命だったり、病気だったり、事故だったり、形こそ違うけれど死は必ず訪れます。

その死が訪れる瞬間まで、情熱を持って好きなことに対して一所懸命だった姿勢は見習いたいです。

 

なくしてからじゃないと気づけないではもったいない。

生きている間は「生きている」ということをそんなに意識することはありません。

そして、自分の仕事が誰かのためになっていると考える機会も少ないのではないでしょうか。

自分自身、アリゾナでの経験から、生きているのと死んでいるのは本当に紙一重だと思うのです。

ですから、生きている間に想像力をフルに働かせて、好きなことをとことん追求する時間であったり、好きな人たちと共有している瞬間であったり、生きていることの有り難さをしっかり感じながら、(人の為になるかもしれない自分が好きなことで)それを表現してみてください。

表現に力がこもってくると、ひょっとしたら行く行くは誰かのためになるのかもしれません。

R.I.P

自分と世界の境界線を…なんていうとマニアックすぎますね。

体幹が整うと、からだは本来の姿に戻っていく

和の所作で整える体幹コンディショニングも今月でvol.3となりました。

このワークショップでは、僕がからだを通して経験したことをギュッと凝縮してお伝えしていますが…

面白いですね、vol.1 vol.2を受けてくださった方から「股関節の痛みが劇的に改善した」という感想を頂きました。

改善といってもちょっと良くなるではなく、全くなくなったようです。

腸腰筋と骨盤底筋群の動き方のおさらいをしただけなのに、

長い間不調だった股関節の痛みがなくなったこと、そのことに驚く方もいるかとは思います。

 

力は全体に伝わり、からだは全体で機能する

私たちはこれまで、部位にフォーカスしてトレーニングを行ったりしてきました。

腰痛があるから、腹筋と背筋を…という、幻想がまさにそれなのですが。。。

何度も言うように、からだは全体が同時に動きます。

そしてからだの中心にあるコア・体幹といわれるエリアからは、同心円状にかつ立体的に力が伝わります。

これまで眠っていた体幹がアクティブになった結果、股関節の機能が改善されると言うことは十分に納得ができるのです。

 

からだに働きかけることで、意識が変わる

今回のテーマは “横隔膜” でしたが、ワークショップの前後で重さの感覚が変わったようです。


重さが変わるわけはないので、横隔膜が動いていることを感じながらからだを動かしたことが、体幹の安定に繋がって、結果として重さが変わったようになった。

つまり重さに対しての力関係において、自分の方が強くなったということです。

からだに対して働きかけることで、感覚に変化をもたらす

これが僕がボディワークを通してみなさんに伝えたいことです。

ぜひ、これまでの常識を崩しにきてください◎

意味深なタイトルにムムムと感じた方はこちらもぜひ読んでみてはどうでしょうか。

知識がないから、非科学的なことも信じてしまう。

全体で動いている人のからだ

からだは考えなくても全部が同時に動いていますよね。

あたりまえの事のように思うかもしれませんが、実は全く理解できていないかもしれません。

例えば、腰が痛くてからだに不調を感じている場合。

ひと昔前は、病院で検査をすると椎間板が少し潰れているのが見えると、あるいは見えなくても「腹筋と背筋のバランスが悪いね、筋トレをして筋力をアップしてね」なんてことが言われていたかと思います。

そして腹筋と背筋のトレーニングをする。

しかし時代とともに常識も変化し、今では私たちがよく知る腹筋運動は不適切だということでプランクなど他のエクササイズにシフトしていっています。

もし、今も先と同じようなことをいうお医者さんがいたら驚きですが、多分状況は変わってないでしょうし、腹筋と背筋を行なっている人は多いでしょう。

 

からだが動くということは、からだの中も外も全てが同時に空間を移動するということ

人のからだの中には、このように臓器が収まっていて

それを覆うように腹膜があり腹横筋があり腹斜筋があり…

そしてそれらを連続的に覆っている筋膜という組織の伸張性バランスが働くことで、からだは内臓を有する空間で連動しているのに、腰痛の原因が腹筋と背筋のバランスというのは非科学的過ぎではないですか。

確かに、お医者さんは診断をすること、つまり病名をつけることが許されています。

しかし、からだの組成も暮らしも年齢も性別も傷病歴も異なる「腰が痛い」という症状の人を、仮に「椎間板ヘルニア」だと診断して、全ての人に腹筋と背筋のバランスが悪いからというのは、常識的に考えて「本当に?!」と思いませんか。

百歩譲ってその診断を受け止めたとしても、診断をしたお医者さんの専門は医学であり、運動指導が専門ではありません。

 

痛い理由はさまざま、痛みを感じる瞬間のからだの連動が上手くいってないのでは?

からだの中も外も全てが同時に空間を移動するというのは、抽象的な表現で伝わりにくいかもしれませんが

全てが動いている時に、どこかが引っかかってしまって起きている痛みだとしたら。

その引っ掛かりを感じている箇所が、伸張性バランスで機能している筋膜だとしたら。

その周辺の筋肉や骨が、慢性的に上手く連動していないからかもしれませんよね。

信じることは良いことですが、事実を捻じ曲げて信じようとしたり、事実を知ろうともせず信じようとしたりすれば、結果は人任せになってしまいませんか。

 

知識がないから、非科学的なことも信じてしまうとしたら

知識は与えられるものではなく、自ら求めるものです。

与えられたものはただの情報に過ぎません。

また知識は、持っているだけでは役に立ちません。

持っている知識を使って、筋道を立て、論理的に考えることで始めて、自分が直面した問題を解決するのに役立つのです。

専門的ではないことはついつい、そうなのか…と思ってしまうかもしれません。

そのことで、ネガティブになってしまって正しい判断ができなくなるかもしれません。

全ての知識を自分が持つ必要もありません。

餅は餅屋なんです。

なので腰痛(からだのこと)に限らず、自分が分からないことや、分かったつもりに思っていることは、一度でも二度でも自分が納得のいく説明をしてくれる専門家に聞くのが良いのではないでしょうか。

EL CAMINO サンティアゴ巡礼の旅 〜セッション3〜

出発まであと1ヶ月

サンティアゴ巡礼の旅の出発まであと1ヶ月を切った。

クライアントは仕事もあり、最初に計画していたようにセッションが進んでいない。

ただ日々のトレーニングはしっかりと行なっているようで、トレーニングの後からだが疲れを感じることなどはないらしい。

これまで運動習慣がなかったにも関わらず、からだに不調などがないのは素晴らしい。

ただ一度だけ、肩がけの小さなカバンを斜めにかけて歩いた日は、ものすごく腰が痛くなり、左右のバランスの悪さがもたらす影響について気づくことができたという。

旅は非日常だ。

まして日本を離れ、約40日の長い旅なので、体調を崩さないようにすることは大切だ。

日々のトレーニングも距離を伸ばして行く必要があるので、その中で体調を自分で管理することを今回のセッションでは行なった。

 

自分でからだを整える

長い旅の中で、日々の疲れを残さないようにすることはとても大切になる。

まして日本からの長距離移動を終え、出発地点に着いたらいきなりピレネー山脈を越えるセクションが待っているとなると、エコノミー症候群はもちろん、移動で凝り固まったからだでは話にならない。

ということで、今回は自分でからだを整えることを重点的に行なった。

セッションにかかった時間は約90分、自分一人で行うセルフケアの方法を伝えた。

写真は、左がビフォー・右がアフターとなっている。

途中暑くなり、服装が変わってしまっているので比較するのが難しいが、

まっすぐ正面を向いた時、足の幅が広がり、そのことで少しデコルテが広がった印象になっている。

横から見ると、前に突き出していた腰が少し後ろへ戻り、つま先加重から踵加重になったことで、ギュッと縮まっていた胸のスペースがふっくらしたことと関連づけられる。

後ろから見ると、肩が広がり、頭頂部が頭上へと引き上げられているのがわかる。からだの背面にある踵が安定したことで、地面からの反発が正しく頭上へと抜けるようになったからだ。

反対側から見ても、前に傾いていた重心が後方へと戻り、突き出していた腰が戻っていることがわかる。

 

何を基準に自分でからだを整えるのか

私たちは地上で1Gという大気圧を受けて(引力に引っ張られて)暮らしている。

地球上で暮らし、私たちに質量(重さ)がある以上、重力からは逃れることができない。

しかし言い方を変えると、重力をうまく利用することで楽にからだを動かすことができる。

つまり、この重力下で楽に動くことができる位置をからだで感じることが判断基準になるのだ。

 

からだがどういう状態なのかを意識する

私たちは繰り返す日常の中で、無意識のうちに行動パターンを自動化して楽をしようとする。

子どもの頃はあんなに大変だった自転車の運転も、慣れたら最初の苦労をさっぱり忘れてしまうし、どうやってバランスを取りながら乗っていたかなんて考えることもない。

これが、人間のすごい能力でもあるのだが、このことに気づいている人は意外と少ない。

気づいていないと、間違った力の伝達をしていてもそのままになる。

間違った力の伝え方は、間違ったからだの使い方に起因していて、結果として「痛み」や「不快感」としてフィードバックされる。

そのフィードバックに対して、改善を施さなければ、結果はさらに悪くなる。

悪くならなかったとしても、良くなることはない。

不調や痛みについて答えはからだが知っている。2/22の記事へ

旅は非日常と言ったが、旅に出るまでは日常が連続している。

出発までの残された時間、疲れを残さないようにトレーニングに勤しみながら

感覚に意識を向け、からだの使い方を今より「快適な状態」へとアップデートしていくことが、巡礼の旅を快適にするかに大きな影響を与える。

和の所作と体幹

和の所作で整える体幹コンディショニング

なんでわざわざ「和の所作」?!と思うかもしれませんが、和の所作には意味があります。

それは私たち日本人の昔の暮らしの中に「体幹を上手く使うためのエッセンス」が当たり前のようにあったからです。

和服を着ること、帯を締めること。

正座で座ること、箸を使って食事をすること。

着ているもの、行う所作など日々の生活の中に、からだを丈夫に使う様々な知恵があって、

そのことで体幹をアクティブにすることができたので、健やかな日々を大切に送っていたと思われます。

もちろん現代の暮らしとでは、肉体労働の占める割合が違うので、からだの使い方の良し悪しが暮らしに直接影響を与えたのではないでしょうか。

 

“体幹” ってなんだ?

体幹を定義するのは難しく、難しいがゆえに色々な人がいろいろな表現をしていますが、

和の所作で整える体幹コンディショニングでは、体幹を「横隔膜と骨盤底にはさまれた空間のことを言い、呼吸によって圧力を変化させて、ボールが弾むように動く状態をイメージしてもらうと、わかりやすいのではないかと思います。

天井に当たるのが横隔膜、床は骨盤底筋群、後ろは腸腰筋、前側が腹横筋と4つのエリアで、ひとつの空間を構成しています。

これらのひとつひとつに注目して、体幹というスペースがどのように動くかを理解していくのが 和の所作で整える体幹コンディショニング です。

 

(体幹)トレーニングとコンディショニング、何が違うか

トレーニングとコンディショニングこれもまた難しいのですが、

一般的に、トレーニングは辛くてキツい運動をイメージするのではないかと思いますが、

トレーニングは本来、結果を出すまでに必要な「訓練」のことであって、その強度についてはそれぞれ目的によって異なってくるはずです。

ですからトレーニングを受ける方にとって、最小限の努力で最大限の結果が得られたものが良いトレーニングであり、全ては終わってからしかわかりません。

一方で、コンディショニングは「状態」のことを指します。

つまり、いつでもトレーニング(訓練)ができるように、からだの状態を高く保つための方法だと理解してください。

ですから、ワークショップでは触れませんが、食事や睡眠(住環境・食環境・精神的環境…)などもコンディションを高めるためには重要な要素になります。

 

体幹コンディショニングっていったい…

4つに分割した体幹のそれぞれのエリアがどのように動き、またどのように他のエリアと連動するかについて、考えながら、イメージしながら、感じることで、からだを良い状態に変えていく時間です。

なんかちょっと力が均等にかからない状態で動くのではなくて

力ができるだけ均等にかかる状態で動くための準備が整った状態を作るための時間です。

自分が聞いたこともない筋肉なら、きっとその動き方は知らないはずです。

ましてそれが、インナーマッスルと言われる発揮できる力も小さく、存在そのものも感じられないほどのものなら、自分で勝手に作り上げた誤ったイメージで動かしているのではないでしょうか。

からだはケアをしていかないと、どんどん時間とともに酸化し老化へと向かいます。

私たちの文化や習慣の中にある「和の所作」を使うことで、コンディショニングを暮らしの中に取り入れることも比較的簡単になり、健やかな暮らしが送れるようになるのではないでしょうか。

 

これがゼッタイ!!という思い込みをハズす。

“医学不要論”という本を読みました。

現役の医師の方が書いた本で、以前からSNSなどでも話題にもなっていたので今更な感じは否めませんが。。。

自分や家族の健康のことを考えている方、からだのことに興味を持ってる方、あるいは医療や健康産業の現場で働いている方、身近に病気を患っている人がいる方や、食事を改善したいなと思っている方、これから子育てをしていく方には、ぜひ読んでもらいたいなと思います。

医師が書いている”医学不要論”という本なので、基本的には西洋医学に対しては否定的というより、全否定(99%)のスタンスをとった本です。

薬や病院が好きな方、常識の枠に囚われていたい方はおそらく読む気にはならないでしょうが、気分を害するかもしれないので読まないことを勧めます。

 

健康とは何かを考えさせられる

タイトルのインパクトが強すぎて、医学をただ否定する内容のように思えますが

本質の部分は、正しい情報を知り、自分で責任を負って健康と向き合うヒントが書かれています。

「私たちの身体は、自分が食べたもの、飲んだもの以外のものからは何一つつくられません。
これは学問的に真実です。」
Dr.Roger.J.Williams(ロジャー・ウィリアムス博士)

著書では、ロジャー・ウィリアムス博士のいう「生命の鎖」をベースとした、「3つの輪」を提唱し、それらが体系的に分類、解説されています。

そこでは、私たちにとってのからだと、心(精神)を同じものとして捉えることで、(私たちもまた社会を成す一つの要素であるから)自分のからだのこと(健康であるとはどういうことなのかを判断する情報)を知り、主体的で健康的な人生を創ろうということを述べています。

多少の予備知識は必要かもしれませんが、読み進んでいくと、自分の中で新しい価値観がむくむくと形作られていくのを感じます。

 

新しい情報と新しい価値観を

からだをアップデートするということは、筋トレをして単純に鍛えるということではなく

知性を持って、新しい価値観や感覚を取り入れながら変化し、歳を重ねていくということです。

私たちがそれぞれ生まれた時代の常識で囚われていたら、世の中はこんなにも進歩はしないはずですし、科学技術の進歩が諸刃の剣のように私たちの健康を蝕んでいることもあります。

本の中にもありますが、世の中には“ゼッタイ”ということはありません。

あるとすれば、自然のサイクルの中で生かされているという、宇宙的倫理に基づいたものでなければ全てがうまく回らなくなってしまいます。

私たちの暮らしはこの100年で産業化を遂げ、近代化の波に乗り大きく大きく変化しました。

環境の変化に柔軟に対応してきたように、自分の内側の変化にも柔軟に対応できるようになり、主体的な暮らしを健康的に営みたいですね。