動きの中の恒常性

コバヤシヒロタ

前回、恒常性と動きの多様性とからだの適応力について書きました。

住む場所が違ったり、人種が違ってたり、違いは色々あるけれども

外に環境に合わせて、内側の環境を変えて生涯を全うしている。というもの。

 

結局、何が言いたいかというと

からだには恒常性が備わっていて、生命を恒久的に維持することができるのに

その恒常性がもたらすからだの変化に鈍感だと、その兆しを逃してしまうため、

変化を抑えてしまうということです。

 

つまり

からだは「快」を求めているが、「何か」によって抑圧されているということ。

 

その「何か」とは、、、

抑圧された感情であったり、パターン化された行動であったり

無意識のうちに肌で感じているストレスであったり、、、

人によって様々なものが、その「何か」になり得るわけです。

 

恒常性とは心地良さを感じ続けること

その「何か」によって変わってしまったものを探し、その反応を理解することは

恒常性が奏でる個が持つ(元の)リズムに戻るということにほかなりません。

抑圧によるリアクション(行動パターン)が、動きを制限し、組織を変質させ、パフォーマンスを低下させ、さらに時間的な要素が加わることで、その「何か」はさらに力を得ることになるのです。

こうして形成されていくのが、俗にトラウマと呼ばれるものです。

例えば、抑圧を睡眠時間の減少で考えると、長期間続くことで心身に不調をきたすことは容易に想像がつくのではないでしょうか。

時にはからだがスッキリするまでゆっくり眠っていたい、、、

恒常性とは、そう感じていることだとも言うことができるのではないでしょうか。

自分にとって「快適」だと感じること思い浮かべてみてください。

 

ちからをからだの中に閉じ込めない

心理的なものはわかりませんが、身体的トラウマは、解放(抑圧の反作用)することが可能です。

例えば、からだは不快なポジションにあるとき、痛みを感じます。

その痛みを感じる原因は、からだをその状態にしている自分自身なのですが、

多くの場合、そのことに気がつきません。

不調の原因を自分の中に探れば痛みはなくなるのですが、そのことに気づけないのです。

なぜなのか?

からだを伸ばすことで届く外側を知ることなく、からだの内側(中心)ばかりを気にしているためです。

例えば、腹筋を縮めるトレーニングはしても、腹筋を伸ばすという発想は一般的ではないですよね。

腹筋を縮めシックスパックができて満足しているかもしれませんが、お腹を縮めるという動作は背中を丸める(つまり骨盤を傾ける)ことになってしまいます。

犬が尻尾を巻いたのと同じ状態です。

腹筋を縮めて、骨盤が傾くということは、骨盤から上に伸びている背骨も傾き、バランスを取るために顎が出てしまうので、犬が尻尾を巻いた姿勢と同じ状態になってしまうわけです。

からだの中に力を込めるようにするのではなく、からだから力が出ていく(ちからを出す)ことを意識することで、自分のからだが届く一番遠いところが解るようになります。

左右でも上下でも、一番遠いところとその対角にちからを伝えれば、その中間地点が中心(内側)が自ずと決まるのです。

動作中、その中心をずっと捉えながら動きを膨らませることで、からだは安定した状態で「快適」に動くことができるはずなのですが、、、

恒常性による「快」のサインを見落とすほどに、個体としての特性を見失ってしまっているので、意識が自分のからだに向いていないのです。

自分では想像し得ないほどに、からだは動きます。

からだが快適になると、からだで感じること、感じて考えること、考えて行動することが変化します。

あなたのからだにいいことは、あなたの周りにもいい影響を与えるのです。

 

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