いつの時代にも
「常識」というものがある。
その常識を構成しているのは、マジョリティつまり「多数派」である。
このことは、多数派は常識に縛られていると言い換えることもできる。
中世ヨーロッパの宇宙観は、地球の周りを惑星が回っている天動説だったが
コペルニクスは太陽を中心とし、地球は自転しながら公転している地動説を唱えた。
当時は「非常識」だったものが、現在は「常識」として受け入れられている。
その時代の常識に囚われてしまうと
せっかく解りかけた新たな事象を見失ってしまうことになる。
多数派が正しいのではなく、少数派が正しいのでもなく、自ら経験したことが真実なのだ。
先の天動説から地動説へ常識が正されたことを例にあげると、現在の宇宙観はこうなっている。
おそらく、太陽も回転をしながらさらに大きなフレームの軌道に乗っているに違いない。
僕が思うに、、、
誤った認識が真実を見えにくくさせる。
堀江貴文氏の著書すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)でも同じようなことが言われている。興味がある人はぜひ手にとってみてほしい。
友人に言わすと「(僕が読むには)意外な本」らしいが、
変化する時代の中で「変わらない何か」があること、そしてそれが常識として無条件に人々に受け入れられているなら、それは思考を止めていると言っても過言ではないのではないだろうか。
ひと昔前は
「うさぎ跳び」なる運動が、トレーニングとして行われていたが、現在はほぼ目にする機会はなくなった。
そして今は「腹筋運動」がなくなろうとしている。
腰痛で病院に行くと、医者に「腹筋と背筋のバランスが…」なんてことを言われるかもしれない。
だけどそこで間違っても「腹筋運動」をすることのないように!
ウォール・ストリートジャーナル(金融・経済情報誌)ですら、こうした見出しをつけているのだから、、、
時間は常に流れていて、時代はいつも移り変わっている。
「常識」という誤った認識で、(何事も)フレームを制限することのないように。