豊かさって何だろう?

日本の外はどんなだろう!?

遡ること12年、僕は日本を飛び出して中東のシリアアラブ共和国にいました。

きっかけは色々あったけれど、日本しか知らないまま歳をとるのがイヤだったからというのが、一番のきっかけだったように思います。

 

行ってみないとわからないことがたくさん

シリアというと、今は「恐ろしい国」というイメージがついてしまっています。

当時もブッシュ政権が、北朝鮮・イランと並ぶ「悪の枢軸」と言っていましたが…

実際に行ってみると、なんてことはない、とても活気に満ち溢れた国で、街を歩いていても色々と声をかけてきてくれるとても優しく、暖かい人たちが住む国でした。

そんな日本から遥か遠く中東の地で、UNRWA(国連パレスチナ難民支援機構)と一緒に小中学校での体育の授業、スポーツイベントの実施、教員養成コースなどをやっていました。

シリアのことですら、多くの日本人には伝わらないことが多いのに、そのシリアで暮らすパレスチナ難民と言われる人たちと多くの時間を過ごしてきたというのは、さらに伝わらないかもしれませんね…

ただ、難民といっても中東戦争の時から数えて難民になっているので60年余りが経っていて、イメージしがちな難民キャンプではなく、しっかりとした街「居住区」で生活しています。

また、砂漠の国というイメージを抱きがちですが、国土の全てが砂漠ではなく…

砂漠の中のオアシス パルミラ

地中海にも面していて、短いけれども四季があるし、標高1000mほどの山々が並び、その下には豊かな農地が広がり大規模農業が営まれています。

どうしても国に事情で、国防に多くの予算を割いてしまうため、電気や水などの資源や、社会インフラにかけられる予算は少ないのでしょうけれど

市場には旬の食べ物が並び、食堂や小売店などの商店がたくさん並び、日本と比べると豊かではないかもしれないけれど、活気がある国でした。

国公立の学校や病院では教育費や医療費が無料でしたし、青果をはじめとした食料品が安いし、交通も東京-大阪間の移動は3列シートのバスで往復1000円ほどでした。(ちなみにKFCのセットメニューは日本と同程度の800円ほど)

もちろん、途上国という部類に括られる国なので、物乞いをする子供達がいたりして日本とは全く違う感じでしたが、貧しい国かというとそんな感じはしませんでした。イメージは高度経済成長期の日本みたいな感じかもしれません。

道で会う子どもたちは笑顔で「写真撮って」と言ってくる

そんな中東の国シリアで2年間暮らして思ったことは

安定した食料基盤(高い食料自給率)と、医療や教育などの社会保障が充実していれば、十分豊かな暮らしが送れるのでは…?ということでした。

特に、食料基盤の質が高いと、暮らすときの安心感が高いと思いました。

もちろん政策がしっかりしているのでしょうけれど、当たり前のように万人の暮らしを保証できることは(仕事をして暮らしを作る努力は必要だけれども)暮らす上で大きな安心になるということを実感しました。

外の世界をみて、高知に戻ってくると…

高知は本当に食に関しては「豊かな」土地だということがわかります。

海山川では四季の新鮮な食べ物が採れるし(もちろん生産者さんのおかげですが)、何よりも産み出すことのできる土(土地)とフィールド(猟場)が豊富にあります。

黒潮がもたらす豊富な雨は、豊かな(豊かすぎる)自然を育んでいるし、その自然の流れに沿って様々なスタイルの暮らし(農法・漁法)があることもまた、消費者側からみるととても豊かなことだと思います。

移住後、耕作放棄地を開墾し畑も始めました

 

豊かな土地の豊かな食は、豊かな人生を作り得る

私たち人間のからだは、食べたものから出来ているので、よほど間違ったものを口にすることがなければ「健康状態」を良く暮らすことができる土地なのです。

からだに良い食べ物があり、健康的に暮らすことができると、あとは健康を維持するための「知識」があれば、必要最低限の健康で文化的な暮らしを営むことができ、健康なからだで労働をして、健やかな暮らしの根幹でもある、健やかで安心安全な食べ物を作ることができます。

もちろん自給自足をすることもできるし、それ以上に供給することもできます。

これが先のポストに書いた、高知に戻ってきてからずっと考えてきた ” からだ “と” 食 “と” 農 ” の関わりです。

 

全ての人が農的な暮らしを営む必要があるとも思いませんが、

農的なことに触れることで、いかに私たちのからだの中に不健全なものが入ってきているのかにも理解が深まりますし、

農的な作業をする中で、日常生活の中で現代人の暮らしのパターンにからだを動かすことが不足していることを感じることもできます。

そうして地に足をつけ、土でできたものを口にすることで、住んできる環境への意識も高まるし、それが強いては地域を持続可能なものにする基盤となるのではないでしょうか。

 

最後にもういちど

「豊かさ」ってなんだろう・・・

タイトルに「豊かさ」ということを書きましたが、これまで豊かさといえば、その指標はどれだけたくさんの「お金」や「もの」を持っているかだったように思います。

しかし、お金を手に入れるために犠牲になったもの、犠牲にしてきたものは多々あるように思います。例えば、健康は買えないことはもうすでに分かっていますし、お金のために人の手によって壊されたものや環境は、人の手で再び創り出すことができないことも分かってきました。家族との時間にしてもそうです。欲しいものを手に入れてもまた新しいものが次から次に出てきます。

もちろん、そのことが悪いとも思いませんが

健康的なからだで暮らしを営む上での「根幹」とも言える、健全な食料を生産し、口にすることができる暮らし、その部分を大事にできなければ、行き着くところは終わりなき競争、終わりなき消耗です。

カーニバル00のフライヤーには「しあわせに生きるとさ」と書かれています。

多くの人が今、それぞれの専門性や共通性のあるものについて、閉塞感や違和感を感じているのではないかと思いますが、そうしたことを解決する場になるのではないでしょうか。

そのためには、頭で考えることももちろん大事ですが、からだで感じることも同じように大切です。ひょっとすると頭で考えること以上に大事かもしれません。

考えるではなく、感じる。

何をどう感じるかで、世界の在り方が変化します。

そんな不思議な話なんかもできたらいいと思うので、興味のある方はぜひ11月3日カーニバル00の会場でお会いしましょう!

 

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