変化がないものとして生きるのはやめよう
新型コロナウイルスが騒がれ始めてから、色々なことを考えてきました。
医療や経済、科学的アプローチ、教育や雇用や私たちの暮らしに関わる全てのシステムの在り方が根幹から崩れるのをみているようでした。
誰もが未知との遭遇に畏れおののき、恐怖と不安と猜疑心とでガッチガチになってしまい…
たくさんの方から、肩首回りの不調の相談を受けることがたくさんありました。
かくいう自分も、にっちもさっちも行かなくなってしまうんじゃないか?という思いに駈られたりしましたが…
今日、これまでの行動習慣 生活習慣 思考パターンを変えようと一発バシッとビーチでのワークアウトをしてきました!!
いやぁ〜!!ビーチでのワーウアウトいいですね〜!!超いいです!!
そして9年前のことを振り返り、そしてこの地に留まろうと想い、この場所で起業したときのこともしっかりバッチリ思い出しました。
自分にとってココ(海のバザール)は、色々なことの始まりの場所だったんですね。

初日の出 @ 海のバザール
と思ったら、今年2020年もココ海のバザールから始まってました。
日々目まぐるしく移り変わって、今についていくのに必死だけれど、世界は今この瞬間も刻々と変化を続けている。
その変化に気がつくことなく、ずっと同じ日が続くなんて思ってるのはVRの世界で生きているのと同じなんじゃないでしょうか??
リアルを生きていきましょう!!
変化するのが当たり前、足元の砂の変化すら僕たちは予測できない
ビーチを走っていると、私たちがいつも変化のない地面を、変化のない靴で歩いているのかを実感します。
そう考えてみると、我々にんげんだけが足元の変化が乏しいところを歩いていることに気がつくのです。
波打ち際の濡れたところは走りやすいように思えるけれども、場所によってはグッと沈み込んだり
波打ち際から遠く離れた乾いた砂のところは、ズブズブと沈むかと思いきや思ったより反発があったり
水面から目で確認した水底の地形が思った以上にハードだったり…
普段真っ平らなアスファルトをソールの硬い革靴で歩いている人間が、そんなコンディションで高いパフォーマンスを発揮できるか?できるわけないですよね。
このことから、私たちは生活している環境であったり、習慣による蓄積した情報をもとに1秒先を予測し、予測といっても「基本変化しないだろう」という固着した1秒先の未来に対して行動(アクション)しているということがわかります。
一方で、野に暮らしている生き物はどうでしょうか?もちろん行動範囲が決まっていたりするだろうけれど、基本的には一寸先は闇で、常に起きた出来事に対しての反応(リアクション)しかしていないように思えます。
変化に対して即時リアクションを取ることができる「種」とそうでない「種」どちらが生に対する順応性・適応力が高いかと考えた場合、圧倒的にリアクションを取れる方にアドバンテージがあるのではないでしょうか。
未来は予測できないものだからこそ、行動はもとより思考パターンまでも柔軟にありたいものです。
からだで感じたことに対して反応(リアクション)を取れるようになるためには…
これはもう、置かれている状況を変えること以外にないのではないでしょうか。
もちろん、マインドから変容をしていくことが得意な人もいるとは思いますが、それには相当な集中力を要するわけです。
それが置かれている(場所や国などの条件)状況が変われば、強制的にそこに対して適応する以外に生を継続する術はありません。
青年海外協力隊でシリアに行った時が、まさにそんな感じでした…(この話もまた何かの形で記したいですね)
ということで、近くにオープンなフィールドがあるのであれば、高気密住宅に籠もるんじゃなく、そこへ足を運んで、からだを動かして、何をどう感じるのか?
感じたことに対して、どうアクションを取るのか?
そして、その行動に対してもフィードバックを得て、どう進展継続していくのか?
じっと息を潜めて小さくなるのではなく、息ができるところまで足を運んで、からだの中でぎゅっと圧縮されているナニカを解放、そしてリフレッシュして日常に戻ることができれば、ちょっとバージョンアップされた自分で未来と出会うことができるのではないでしょうか。
未来は向かうものじゃなく、勝手に向こうから向かってくるものです。
焦ることなく、落ち着いて、適当ではなく、その時できる最善の方法(ベストを尽くして)対応して、近くにいる人と高め合いながら生と向き合って行きたいですね。
感想とかあればぜひFacebookの投稿に残してくださーい!!