常識を疑う
私たちはからだを動かすものは「筋肉」だと思っているはずです。
そして、からだを動かす筋肉を鍛えて強く大きくするのがトレーニングだと信じて疑っていない。
だけど、本当にそうでしょうか。
生まれたばかりの赤ん坊が二足歩行をするために過酷なトレーニングをしますか?
赤ん坊は何もすることなくおっぱいを飲み寝て日々過ごし1年間で驚きの成長を遂げます。
加齢とともに衰えるからだのためにトレーニングが必要ですか?
だとしたら、100歳以上の長寿の方々は血の滲むようなトレーニングをしたのでしょうね。
確かにトップアスリートではそういったトレーニングが必要な方もいます。
だけど私たちが彼らと同じトレーニング「量」をする必要はありますか?
現状100%の力を出し切って足りなければ必要かもしれませんが、スピード・パワー・正確性・持久力・バランス and so on…を高めるトレーニングを考えるのは容易ではありません。
では何がからだを動かしているのか。。。
個人的には「質」の高いイメージ(感覚)だと考えています。
イメージトレーニングという言葉がありますが、イメージしながらからだを動かすことは極めて重要です。
鳥の羽のようにふわっと軽やかにしなやかなカーブを描いて動くように言われて動かす腕と、
ゴムがシュッと伸びるように早い速度で直線的に動くように言われて動かす腕
同じように腕を動かすのですが、言葉でみるだけでもずいぶんイメージが違ってきます。
イメージができればなんでもOKかというと、それだけではありません。
イメージをするのにはたくさんの情報(知識)が必要です。
腕は骨がどのように付いて、どのような動きができるということがわかっていると、よりゆっくり微調整をしながら細かい動きを再現することができるから。
さらに、イメージを忠実に再現するためのからだとの同調性(重複性)感覚も大切です。
からだに地図があったとしても、その地図を自分のからだに投射できなければイメージと動きはチグハグになってしまいます。
空間が空間を移動するように、点が集まり線になって、線が重なり面になり、その幾何学的形状のものが空間の中をねじれたりもつれたりすることなく動く、からだの内側と外側を繋ぐ皮膚感覚と言えるものかもしれません。