終わりのないトレーニングは報われない、という記事を書きましたが。
トレーニングは目標達成のために行われるものです。
もちろんトレーニングに多くの時間を費やしてきたからといって、良い結果をもたらす訳ではありません。
そのトレーニングが持つ意味を分かっていなければ意味が薄れてしまうので、トレーニングに費やす時間とトレーニングの質は比例しません。
ではトレーニングを終えるため、トレーニングの質を高めるには何が必要なのでしょうか。
答えは簡単「あたまとからだで理解すること」です。
私たちは生まれたての身動きの取れない状態から、ジタバタとからだを動かしながら行動範囲を広げてきました。
じぶんの足で立つことにも慣れ、複雑な動きもなんでも自由にできるようになりました。
慣れたということは動作に注意を払わなくて良くなったということですよね。
動作に注意を払わないとき、からだはなんとなくの無意識で動いています。
例えば、テーブルの上にあるカップを取るとき、腕を前方に1メートルほど伸ばして、たまごを持つくらいの力でゆっくりと握り、肘を斜めに折り曲げながら口元にゆっくりとした速度で持ってきて、首の傾きと腕の傾きを微調整しながら、コーヒーを飲もうなんて考えませんよね。
ただ、なんとなく「あ、コーヒー飲もう。」と思って、なんとなくからだが動いているはずです。
そんな無意識の動きでは、いろいろな癖やじぶんはできているという慢心などで、からだに意識が向かないために、からだの幅や、高さ、重さや軸がだんだんとわからなくなってくるのです。
言葉で伝えるのは難しいので、黒潮町でのワークショップの様子をご覧ください。
あたまの位置が変わるだけで、引っ張っている人も、引っ張られている人も変化を感じています。
筋肉が増えた訳ではないのに、力が強くなったり弱くなったりするのは
テコがはたらくのですが、複雑な動きになるほど支点が増えるので、コントロールをするのが難しくなり、からだがバラバラに動くようになるのです。
自動車運転免許を取るときも車のメカニズムや、交通ルールなどたくさんのことを習います。
習ったことを、実践で試し、また新たに習ったことを…
そのようにして取るのですが、免許を取って時間が経つと、じぶんには必要ないと感じたことからだんだんと記憶から消えていくのです。
無意識に動かしてたり、癖のついたままトレーニングをするのではなく、
どうしてわざわざこんな動きをするのか?
トレーニングの目的をはっきりさせることから意識してみてはどうでしょうか。