新:身体論

コバヤシヒロタ



赤ちゃんは誰に倣うでもなく、寝返りをし、はいはいを始め

色々なものを持ち、二本の足で立ち、柔らかいからだで成長する。

5年が経ち、10年が経ち、あるときにふとからだに不調があることに気がつく。

赤ちゃんを見ていると大人が到底できそうにない動きを平然とこなす。

一方で、大人になると階段を登るたびに足腰に痛みが生じないか不安になる。

そうして不調を改善しようとダンベルを持って筋トレを始める。

自分の体重を支えることもできない人が、自分の体重プラスアルファの負荷をかけてトレーニングをする意味はあるのだろうか。

筋トレをして筋肉をつけることが、健康でいるための指標であるならば、

今、100歳を超え長寿を全うしている方々は、よほど必死になって筋トレをしたに違いない。

私たちのからだは骨と筋肉によって張力が保たれ、臓器を内在する空間を持っている。

随所にセンサーがあり、からだの中で相互にコミュニケーションを取り、恒常性により自然治癒力を働かせながら生命を維持している。

しかし多くの方は、自分のからだについて知っていることは少ない。

感情がからだに及ぼす影響を、圧力がかかった軟部組織が臓器にどう影響するか。

光や音など目に見えない、耳では聞こえない周波数がどんな影響を及ぼすかを知らない中で、

他人が決めた枠に収まろうとし、自分以外の何者かになろうとして苦悩していることも知らない。

私たちは優れた五感と、自由に動かすことのできるからだを持ち合わせている。

それらは一人一人、異なった感覚で刺激を受けとり、異なった身体特性により表現される。

抑圧された表現は歪んだ形で現れ、からだにもダメージを与える。

私たちは生まれながらに、からだを自由に動かし、広げることができる。

特定の部位だけ強化したり、特定の動作だけを円熟させたり、それすらも自由だが、

からだを最大限に伸び広げ、最小限にコンパクトに動かすことができれば、世界と自分の境界がなんとなく見えてくる。

私たちが動くものである以上、動かしていなければ機能は低下してくるし、抑圧されるとエラーが発生する。

からだに備わっている全ての感覚を使って、じぶんのからだを知ることができれば

赤ちゃんのころのように、柔らかく自由に動かせるからだを手に入れることができるのではないだろうか。

僕が伝えたいことは、体感力。

その体感力を駆使して、じぶんだけの機能美に気づくこと

自分のからだに気づく”旅”をしよう。

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