筋力アップというのは、必ずしも筋肉を増やすことではない。

コバヤシヒロタ

土佐清水市での “筋力増強運動教室”

40〜50代男性を対象としていましたが、集まったのは10人ほどでした。

40〜50代といえばまだまだ働き盛り、休日は家族と過ごしたい方もいるでしょうし、わざわざトレーニングをしに行こうと思う人は少ないのかもしれません。

次回は10月の予定ですが、これはこれで集客の方法を考えた方が良さそうです。

とはいえ参加費は無料ですし、公共サービスを使わない手はないと思うのですが…

一方で、嬉しいことに脂肪燃焼教室に参加してくださってた方々が飛び入りで参加してくれました。

これで考えていた当初のプランは崩れましたが、与えられるだけの能動的な態度でいるのではなく、積極的でいる姿勢は見習うべきだと思いました。

 

基礎ができないのに応用はできない

筋力増強というテーマなので、さぞキツい運動をと想像していたかもしれません。

しかし、自分自身の体重をしっかり支えることができない人が、それ以上の外部負荷をかけてトレーニングをすることに意味はあるのでしょうか。

ということで、今回は四つ這いで歩くということから始めました。

赤ん坊が当たり前に行なっていることです。

もうずいぶん昔にハイハイは終えているので、楽にできて当然なんですがハイハイで大汗をかいていました。

ウエイト(重り)を持ってる方が、さもトレーニングをしているように感じますが、あくまでも感じでしかないのです。

つまり、四肢と体幹が繋がっていない状態ということです。

 

力が伝わる感覚を感じて、しっかりと大地を踏み込む

私たちの暮らしは「引く」動作が多くあり、押す動作はさほどありません。

つまり、足を持ち上げることを考えても、足を地面にねじ込んだ反発というのは考えないのです。

支持基底面がない状態では、宙に浮いているのと同じで力が入るはずもありません。

その状態でいくら筋肉を収縮させても、それは私たちが本来手に入れる「力」ではなく「緊張」でしかありません。

ハイハイをすることは四つの支持基底面で支えるということです。

つまり腕(前脚)の使い方を改善するということが、体幹を通して脚に伝わり、その逆も然りということなのです。

その応用がプランクに分類される様々な“体幹”エクササイズなのです。

 

鍛える・強くするというのは量が増えるだけではない

一見すると、筋肉が大きいことは力が強いことのように感じます。

しかし、からだが大きい方が出せる力が大きいのであれば、スポーツは体が大きい方が有利ということになります。

しかしそれは限られた条件のもとでしか機能しません。

イチロー選手はあんなに細いのに、走攻守と三拍子揃った好プレーヤーです。

彼は一貫して自分自身のからだのコントロールにトレーニングの重きを置いています。

ホームランを打ちたいから、からだを大きくしようというのはあまりにも短絡的な発想ということになります。

からだ(筋肉)を大きくするということは、同時にからだを重くする、または関節可動域に制限をかけてしまうということでもあります。

大きくしたいことを否定する必要はありませんが、強さ=筋肉という考え方の間違いに気づくことも大切です。

 

体幹は体幹だけで終わらない、体幹と四肢は繋がっている

基礎に戻って四つん這いが楽に行えるようになるという事は、四本の手足でからだ(体幹部分)を自在にコントロールするということです。

運動教室の後半に行なったプライオメトリクスジャンプは運動強度としてはかなり高いものになります。

子どもは歩くことができるようになっても、ジャンプができるようになるのには時間がかかります。

また一般的に加齢を重ねれば重ねるほど、このような瞬発系の力は出しづらくなるもの。

そうした中で、リズミカルに手足をうまく使いながらバランスや重心の移動を行い、ジャンプからジャンプへと自分の体重以上の負荷をコントロールするのは意外と難度の高いエクササイズなのです。

最初はハイハイで歩くだけでも「膝が痛い」と言っていたのに、90分経ってみると随分と思い切ったことが、しかも安定してできるようになりました。

これこそが、筋力増強の「筋肉の量を増やす」ということではなく、在るものを使って筋肉を使ってからだの出力(パワー)をあげるということです。

こうした身体への気づきを持つことで、自分の身体に信頼が生まれるようになります。

そしてそれはやがて、自信へと繋がり、動き方を変え、暮らしかたや生き方にも影響を与えるようになるでしょう。

トレーニングをする方は、自由に動かせる四肢と、四肢と繋がった体幹をイメージしながら行なって下さいね。

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