からだの内側と感覚

コバヤシヒロタ

今日は「からだの中心」ということが、セッションのテーマに上がりました。

からだの中心というのは意味は分かっても、からだで感じようと思うとすごく曖昧になります。

にも関わらず、「からだの中心から〜」という表現はよく耳にすると思います。

そこで、今回はからだの中心を見つけるために必要なことを伝えます。

感覚について

私たちは生きている間、絶えず色々な刺激を受けています。

光、音、匂い、味、様々な皮膚感覚など、

明るい、暗い、うるさい、落ち着く、刺激的、リラックスできる、甘い、苦い、じっとりしている、暑いなど様々な刺激を受け取りながら、それらが個人の感覚で統合されることで、快や不快が決まっていくのです。

快と不快、二つの感覚

ある特定の環境は、誰かには快適だと感じ、別の人には不快に感じるわけです。

私たちのからだは、その「感じたこと」に対して、「快」に感じるリアクションをします。

当然ながら、反応速度は感覚の感度に比例するのです。

からだは理性で動かせることができても、感覚は動かすことができません。

つまり、

からだが”今在る状態”を、より、感じることができるようになれば、からだを動かすことが今より楽に行えるようになるということです。

内側の感覚

コア・体幹・インナーマッスル

呼称や表現の仕方は変わりますが、どれもからだの表面からは見ることも触れることもできません。

見ることも触れることもできないものを動かすことができるのは、内側から広がる力ではないでしょうか。

体幹という言葉からは連想しづらいですが、インナーマッスルやコアという言葉からは内側というイメージが浮かぶので、連想していたかもしれません。

つまり、内側の感覚とはどのように呼吸をコントロールするか、内側からの力の広がりを隣り合う器官にどれだけ正確に伝えるかということなのです。

感覚を統合する

筋肉は孤立して動くことを嫌って、いつも隣り合う組織と合わせて動きます。

その働きが、からだに連動性を生み出しているのですが、

ときとして、無意識にからだで起きてしまう「力み」によってその伝達が止まってしまうことがあります。

頑張ろう・期待に応えようといった気持ちや、見栄のように自分を良く見せようとする気持ちは力みを生み出します。

いい姿勢に見せよう、強く見せよう、前を向こう!

思うことは悪くないですが、そうした気持ちも”今在る状態”から目を背ける要素になります。

あなた自身ではない「感情」がからだになってしまわないように注意が必要です。

 

対極を知る

人は「若いころ、自分が解ってなかった」と言います。

家族から社会へと、成長段階に合わせて「新しい世界」へと行動範囲を拡げ、自分探しの旅をします。

そうした人生のなかで想定外のトラブルに対処するとき、冷静でいるのかパニックになるのかで自分自身がどういう人間なのかということを確認し、知ることができます。

からだも同様です。

中心がわかっているから、外側へ広がることができると考えていたら

いつまで経ってもからだの中心は見つかりません。

からだの中心を知るために、外側への広がりを知ることが始まりなのです。

私たちのからだは骨や筋肉などがフレームとしてありますが、同時に流動性の高い水(H2O)から構成されています。

内側で静止することのない、曖昧な中心を探し、それを維持してからだを動かすのではなく

外側にどんどん動きを拡げ、それぞれに拡がった四肢と背骨の交点を、中心として追いかけた方が動きの中で、中心を見失うことはありません。

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