基礎ほど大事なものはない
不思議なもので、私たちは当たり前のことをついついないがしろにしがちだったりします。
当たり前というのは、基礎的なことをいうのですが、、、
基礎的なことでバリエーションが増えると、それは応用・発展ということになります。

例えば、サッカーで言えばボールを蹴る・止めるというのは基礎的なことで
もっと噛み砕いて考えると、立つ・歩く・走る・ジャンプするなども基礎的なことの基礎になります。
基礎の意味がわかっていなければ、基礎ほど退屈なことはないのかもしれませんが、
ボールを蹴る、止めるという動作について、何通りもの動きの選択肢があればそれだけでプレーの流れを変えることができるのです。
サッカーに限らず、色々なことで慢心から「できたつもり」「できているつもり」になり、派手なことを!!と思ってしまう気持ちも解らなくはないですが、

所詮それは真似事でしかなく、本質を捉えていない形だけのものということになってしまいます。
私たち人間の動きは、基本的な動作である(立つ・歩く・座る)の上に成り立つ、応用的な動きですから
膝が痛い、腰が痛い、首が痛いなど、からだのどこかに支障が出てくるということは、基本的な動作、またはそれ以前の基本的な姿勢、あるいはバランスが崩れているということになります。
当たり前に “できているつもり” になっている「からだの動き」ですが、ほんの少しのことで変化します
動くことについて1つのチョイスしかないのでは、応用なんてできるわけはありません。
大切なことは、動きにたくさんの選択肢を持つこと、動きを修正するための感覚を持つことです
子どもが成長に合わせて、色々なことができるようになっていく様子はまさにこのことではないでしょうか。
動作の失敗を恐れるのではなく、失敗から学び続けることはできていますか?
思考を変えて、からだが変わると、動きも変わり、暮らしが変わります。

