いつも誰かにどうにかしてもらわないと、からだがしんどい…なんてことはありませんか?
僕が行なっているグループエクササイズ「からだのがっこう」では、からだに責任を持つこと、
自分のからだをマネジメントできるようになることを目標にし、12ヶ月間で体系的に学びます。
からだに変化を作りだす
各クラス共に、レッスン1で下肢、レッスン2で上肢を整えるということを行いました。
レッスンを終えた翌日、大した動きをしたわけでもないのに、すごく筋肉痛になったり
最初のレッスンではバタバタしていた動きも、2回目ではあっさりできるようになっていたり
家でも真面目にやってくれたのか、参加者のみなさんには大きな変化がありました。
本人はそれほどの変化とは思っていないかもしれませんが、端から見ると大きな変化です。
変化の中で感じること
動きでからだを整えるというのは聞きなれないですし、そういった発想には至ったことがないかもしれませんが、止まっていて整っている状態は、当たり前です。
止まっていて、他人にからだを整えてもらう。ということに違和感を感じませんか?
自分のからだなのに。。。
私たちはからだを動かして生活していますが、動いているときこそ整っていたいので、動きの中で自分の中心を探すことが大切なのです。
感じることができない?考えることをしていない?
からだが静止した状態と、動いている状態とでは、どちらが中心を探すのが簡単だと思いますか?
少しも動くことなく、からだの中心はここだ!と言える人はおそらくいないでしょう。
しかし、左右の腕を伸ばせば、その両端から同じだけ内側に入ったところが中心だと簡単にわかります。
もし、他人に中心を教えてもらわないといけない場合、それは自分の感覚と動きにズレがあるのです。
ズレというのは、構造についての誤った認識から起こりうるものです。
感覚と動きのズレについては、意識的に上書きをしなければならないのですが、このときにこれまでの習慣が邪魔をするわけです。
新しいことは忘れやすい、だからからだで覚えよう
いつからそんなに物覚えが良くなったのでしょうか?
学生のころ、新しい字や単語を習ったら手を「動かして」練習しましたよね?
見たら「あ〜!知ってる!」と思うけれど、いざ書こうとすると「あれ?どうだったっけ?」そんな経験ありませんか?
ケータイやパソコンを使っていると、ふとした時に簡単な漢字を書けなかったり…
先にも言いましたが、私たちのからだは、いかに不自由なく動くことができるかが大切です。
簡単な動きなのに、からだに不自由を感じていてはその先へと進むことができません。
進みたくても進めないのです。
レッスンでやるだけでは不十分なので(わかった気になっているから)その日から家で反復したいのです。
毎日できなくても、集中して動かす。そして動きの意味を考える。
そうすることで動きのクオリティが上がり、より強く記憶を上書きすることができるからです。
子どもはなんどもなんども同じ動きを繰り返して、試行錯誤しながらからだを動かすことができる範囲を広げていきます。
私たちが新しいことを身につけるときは、試行錯誤をしながら子ども以上に反復しなければ、古い習慣がヒョイと頭をもたげてしまうのです。
また、子どもが動きを獲得するとき(例えば赤ちゃんが立てるようになるプロセス)には誰に習うこともありません。
自分のからだを「快適に」動かすことができる位置(中心)を感じながら、からだが倒れてしまわないように中心と末端ができるだけ同じように動くようにコントロールしているだけなのですが、成長とともにその感度が鈍くなっているのでしょうか…
次回予告
来月は「関節の可動域を拡げる」ということをやっていきます。
今月より動きを増やしていくので、それまでしっかり「動きでからだを整える」ということを高いクオリティでやっていきましょう!