「じぶんになる」ってどういうことだと思いますか?
きっとそれは生まれたときの状態に近づくということではないでしょうか。
多くの人は、生まれてきたときに肥満であったり、腰痛だったり肩こりだったり何かを患うことなく、元気に生まれてきます。
しかし、さまざまな経験をし、色々なものを溜め込み、不調が出てきて、痛みを感じるようになり。
それを「加齢」のせいにしたりするようになります。
生まれてきたときはそんなことなかったのに。。。
そこで「健康を取り戻そう」と努力するかしないかも、その人次第。
あるひとは自分で頑張ろうと思うでしょうし、あるひとは薬に頼ろうとするでしょうし、あるひとは開き直ってしまうかもしれません。
変わろうと努力する人は、色々なことを調べて、それを試したりするでしょう。
ジムに通ってみたり、DVDを買ってみたり、本を読んでみたり。
そうすると、なんとかトレーニングとか、なんとかメソッドとかいろんなものがあるということに気づきます。
どれも正しいことを言ってて、どれが正解なんだろうと思うことがあると思うんですが
結局、なんでもいいんですよね。
もちろん正解はあるとは思います。
でも全ての人に当てはまる正解なんてないんです。
生活もからだも、ひとりひとり全然違うんですから。
これだけやっておけば健康になれるみたいなのは幻想です。
だからラ*ザップみたいなパーソナルトレーニングが流行ったんでしょう。
個人に合わせて、体調管理をして、食事制限をしてストイックに…
そりゃ他人にゴリゴリに管理されたら誰でも変わりますよ。
それで変化がないのなら、隠れてこそこそやってるってことなんです。
あるいは管理から外れたら、タガが外れたように元に戻る。
結局自分のからだとどれだけ向き合うかってことなんです。
自分の生活、カンタンにいうとどんな食事をして、どれだけ消費しているかということ。
どれだけ不自然なものを口にして、どれだけ不摂生をしているかということ。
無意識のうちに、暮らしの中でからだに癖ができていることに気づくということ。
目を背けたいことからも目を逸らさず、しっかりと鏡の中に映るじぶんと向き合うこと。
痛みというからだの声に耳を傾け、その原因を探ろうとすること。
そうして自分のからだに責任を持ち、からだが快適に動けると感じる方向へ導くことが必要になります。
厳しく追い込むんじゃないですよ!!
快適に動けると感じる方向へと移行するんです。
健全なる精神は健全なる身体に宿るという表現がありますが
からだがリラックスしていると、ひとに優しく接することができます。
逆に、ひとに優しくできないとき、からだには力が入っています。
怒っているとき、怒られているとき、お腹に力が入って息をこらえています。
動物もお腹がぎゅっと縮まった姿勢は、全く気持ちが落ち着いていません。
からだをぎゅうぎゅうに締め付けて、心もぎゅうぎゅうに締め付けるのではなく
心もからだも心地よく、快適に過ごせるよう、自分のからだの声に耳を傾ける
そのためにはトレーニングが必要かもしれません、瞑想も必要かもしれません、常に揺れ動く自分のからだと心を観察し、その挙動に対して対処するそして、自分で揺れをコントロールして、より快適な状況を創り上げるということが
コンディションを高く保つということではないでしょうか。
コンディションを高く保つことができると、常に高いパフォーマンスを発揮することができます。
それがスポーツでもアートでも、仕事でもなんでも高いパフォーマンスを発揮し続けることがどれだけ難しいのかは知っているハズです。
私たちはからだの外側の世界から絶えず何らかの刺激(ストレス)を受けています。
その刺激により、からだが反応し、その反応によって「私」という意識が変容するので、からだを最高のパフォーマンスができる状態(コンディション)に保っておくことが大切になります。
強さを勘違いして、大きな重い鎧をつけてじぶんを欺くのではなく、
等身大のじぶんとずっと向き合い続けることのできる、感度の高いからだでいることを考えてみませんか?
誰に何を教わることもなく、生まれてから2本足で立てるようになったわけです。
重力を感じながら、どうやったら自由に行動範囲を広げられるか一所懸命考えながら、少しずつ自由を獲得してきたことを思い出してください。
一所懸命にじぶんのからだを動かしてきましたよね。
それがいつしか、からだを動かすのがしんどい…に変わってたりしませんか?
敏感に刺激に反応して、柔軟にからだを動かすこと思い出してください。
死ぬまで替えが効かないのがからだです。
からだを見ず、からだを魂の棺桶にすることがないように。
どうしたら「じぶん」が快適にいられるのか、感じ、動くことやっていきましょうね。