数・回数・重さじゃない。トレーニングはなんのためにするのか?

コバヤシヒロタ

日々の記録 ”からだのがっこう” 編

今年の1月から12ヶ月かけて自分のからだをアップデートしようというコンセプトで からだのがっこう というグループエクササイズを行なっているのですが

参加者がひとりの時は、必然的にパーソナルトレーニングに変わります。

ずいぶんとラッキーなことです!!

 

そして今日は、たまたま参加者がひとりだったのでパーソナルトレーニングになりました。

 

トレーニングは動きと思考に対して行われる

基本的にグループエクササイズでもパーソナルトレーニングでも、ガシガシ動くことはしません。

それは、からだを動かすためのルールを理解して欲しいから!

例えばルールがわからないまま、がむしゃらにからだを動かして…

達成感を感じたとしても、トレーニングの目的が達成できていなければ意味がありません。

腹筋背筋50回×3セットを腰痛予防に…と行なっても、その腰痛になってしまうケースは多々あります。

その50回×3セットに明確な根拠がなければ、達成感があろうとも意味が薄れてしまうどころか、逆にやらないほうがましになってしまったりするわけです。

なので、からだを動かすルールを理解するということが、大事になる理由です。

あたまでの理解が深まらなければ、からだでの理解が深まるわけがありません。

 

基礎を軽んじず、慢心することなかれ

成人になるとからだも大きいし、ついつい大きなもの重いものでと思いがち

ついでにいうと、たくさん回数ができた方が…と量でも考えがちです。

しかし繰り返しますが、大事なことはしっかりと理解しているかということ。

ちなみに今月のテーマは “呼吸” 、いや、呼吸でもあり”姿勢”でもあり…

呼吸でも姿勢でもあり“体幹と四肢の連動を、どんなポジションでも安定させること”です。

難しそうなテーマですが、実際は仰向けに寝転がったり、四つん這いになったり。

しっかりウエイト(重り)を使ってやるかと思いきや、せいぜい2kg程度。

こんなのでトレーニングになる??と思う方がほとんどだと思いますが、

2kgを正確にコントロールできなければ5kgや10kgなんてそれこそ意味が薄れてしまいます。

そもそもトレーニングというのは重さに耐えることができるからだを作ること、ではなく、からだを自在に操ることにあるべきですから

トレーニング=出力できる力の大きさの増大 というのは必ずしも正解ではありません。

からだを自在に操る、そのためのルールをエクササイズを通して体感する

これがトレーニングです。

そうすることで学んだことが、暮らしの中で活きてくるわけです。

毎日ジムに行って、マシンを使わないとできないのはあまりにも窮屈です。

自動車の運転を学ぶために、自動車教習所に通いますが…

運転免許を取った後も自動車教習所に通い続けることはありません。

全てのトレーニングは「終える」必要があり、トレーニングで行なった内容は身についている必要があるのです。

生きていられる時間は有限です、その有限な時間は自分のすべきこと、好きなこと、自己表現のために使うことができることが望ましく、必要のない時間は極力使いたくないわけです。

毎日トレーニングのためのトレーニングをするのではなく、快適に暮らすため、より豊かに生きるために必要な智恵を身につけたいのです。

 

 

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